2002年8月18日 (日曜日) 晴時々曇りにわか雨 最高気温22度

Rosedale Abbey - Chimney Bank - Rosedale Abbey - Lastingham - Hutton-le-Hole - Byland Abbey - Kilburn - Thirsk - Pateley Bridge - Grassington - Linton - Kettlewell - Ilkley - Headingley - Leeds


例によって6時半に目覚めてしまった。しかし、ホテルはまだ誰もおきていない。昨日のショーの疲れでみんなまだ寝ているのかもしれない。

1階のスモーキングラウンジでくつろいでいると、ベルト氏が起きてきた。「今日は何する?」という会話から、昨日のYS君の「ローズデールのチムニー・バンクは必見」という話しになる。するとベルト氏が、「ぜひあれは見て欲しい!」と言う。ここから歩くと40分だそうだ。車は道が狭いので危ないからなあ、云々と話しているうちに、「じゃあ朝飯前にこれから連れて行ってあげよう!」という話になった。


ミルバーン・アームズと、そのラウンジからの外の眺め。


Chimney Bank
妻をたたき起こし、10分で準備をさせて、ベルト氏のランドローバーでチムニーバンクへ向かう。この道は本来は一方通行であるが、ベルト氏は「ローカルの人たちはノーティだから、、、、」と平気で逆進入。

上まで上がると、ちょっと信じられない光景が広がっていた。一面ヘザーの海。ベルト氏がヘザーのにおいをかいで見ろ、という。甘い独特の香りがする。この風景をウェブサイトで紹介したいといったら、喜んでいた。結局、1時間近くも「これも見ろ、あれも見せたい」と、回ってくれた。


ローズデールのチムニーバンクからの眺め。一面のヘザー。右端はチムニーバンクからミルバーン・アームズを見たところ。

ミルバーン・アームズに戻ると、ミセス・ベルトがミスター・ベルトに向かって、「あんた、朝からどこをうろついてたのよ!朝ごはんの準備がまだなのよ!」と怒る。私が間に入り、「すみません、私が連れて行ってくれと頼んだのです、、、」と、平蜘蛛のように謝る。

朝食はハドックを頼んでみた。ちょっとしょっぱいが、ミルクに浸してある。癖になりそうな味だった。


Lastingham
ミルバーン・アームズをチェック・アウトし、9時過ぎに出発。まずローズデールの南のラスティングハムへ。
小さなかわいい静かな村だった。この村を眺める坂道の途中で写真を撮るが、しばし見とれてしまうぐらい平和でのどかである。この村は時間が止まっているのかもしれない。

ここの訪問者の「お約束」として、セント・メアリー教会のクリプトを見に行く。通常、クリプトとは地下の礼拝室のことを言うようだが、ここのは他と違って、小さな窓から外光を取り入れる形式で、とてもめずらしいらしいのだそうだ。牧師さんが出てきたので、写真を撮っても良いか訪ねると、撮って減るもんじゃないし、あれはとってもラブリーなクリプトだから、ガンガン撮影してくれ、とのこと。うーむ、サービス精神旺盛だ。



ラスティングハムのセント・メアリー教会のクリプト。右はラスティングハムの村の入り口。


Hutton-le-Hole
そのあと、ハットン・ル・ホールへ。
ここもかわいい村である。村に入る前に、YS君のアドバイスを思い出し、カスルトン方面へ10分ほど走ると、確かにそこはヘザーの海。ここも素晴らしい眺めだった。

さて、ハットン・ル・ホールは買い物の楽しい村だった。店のおじさんおばさんもやたら丁寧。ラッピングや計算に時間がかかるけど、人の良さがあふれている。この村は、ハムレット(村のさらに小さい奴をそういうらしいです。)とムーアの両方が楽しめるすてきな村だった。観光客が多いのが玉に瑕だが、自分もその観光客の一人なんだから、しかたがない。^^;


ハットン・ル・ホール北方のヘザー。ここも見事だった。右は村の中心部。

ハットンルホールからヘルムスリーへ向かう途中で大雨となる。それこそ、バケツをひっくりかえしたような、というあれ、である。でも、すぐにやんでしまった。このあたりが英国の天気である。


Byland Abbey - Kilburn
ヘルムスリーからリーヴォー・アビーへ行くつもりだったが、道を曲がるのを忘れてしまい、直進してしまう。途中で左側にバイランド・アビーの標識を見つけたので、左折。
森を駆け下りていくとじきにアビーの廃墟が見えてきた。もうファサードの一部しか残っていないが、荒野に毅然と立つその姿は印象的だった。

その後進路をキルバーンへ。キルバーンには19世紀中ごろに山腹に掘られた馬の刻印、ホワイトホースがある。ところが、キルバーンについてあたりを見渡すが、それらしいものはぜーんぜん見つからない。

諦めてサースクへ向かう。途中、坂道の眺めの良いあたりに来たときに、妻に「何か馬のようなものは見えんか?」と聞くと、目を四方に配っていた妻は「あ!あそこ!」と叫ぶ。ようやく発見。確かに白い馬だった。


バイランド・アビイとキルバーンのホワイトホース。確かに山の頂上付近に馬が、、、、。


Thirsk
キルバーンからは、サットン・バンクを通らずにサースクに到着してしまう。サットン・バンクはヘリオット先生の本によると、非常に眺めの素晴らしいところらしかったので、通れなくて残念だった。

まずはYS君との待ち合わせ場所の、コブルストーンの敷き詰められたマーケットスクエアに駐車する。30分ほど待ち合わせ時間より早く着いてしまったので、時間つぶしに早速ヘリオット博物館の下見へ出かける。ショップでヘリオット先生グッズ購入した。原書や絵本は持ち帰るとき重くて大変だと分かっていても、ついつい買ってしまう。

マーケット広場に戻る途中でYS君に会う。「おー、やっとかめ!」という名古屋人特有の挨拶を交わす。彼と一緒にヘリオット先生博物館を見学に戻る。彼は家族と一緒に以前に見学したことがあるので、ガイドしてくれる。1950年代の獣医さんの生活がしのばれる、とても見ごたえのある博物館だった。ヘリオット先生を知らない人が行っても楽しめると思う。


サースクのマーケット広場には、ヘリオット先生博物館前への案内板が出ています。右はその博物館にて。

ヘリオット先生博物館を「拝観」後、昼食前だったので、「お茶でもどう?」とYS君に言ったら、彼は一刻も惜しい様子で、「めしなんてあとでいいですから、早くデールへ行きましょ!」と言う。

デールとは、日本の急峻な谷とは異なり、ゆるやかな起伏の谷のことで、イングランド北部、特にヨークシャーにはたーくさん見られる地形であり、多くの場合、羊の放牧地となっている。そして羊たちが逃げないように石垣が積んである。自然そのものでもなく、人の手がちょっと入っているのがミソであるが、自然と人間の作り出した美しさが渾然一体となっており、言葉では表現できないほど美しい。

YS君は、へこんだときなどにデールへ行くととたんに元気になるぐらい、デールを愛しているので、ぜひとも見せたい!早く見せたい!と言うことなのだ。昨年もそんな彼のお勧めに従い、ヨークシャーのウェンズリーデールとスウェイルデールというデールを訪れて、目からうろこが1ダースほど音を立てて落ちてしまった。世の中にこんな感動的な場所があるとは思わなかったのだ。

「カンブリアの湖水地方とノーフォーク湖沼地方が見れればそれでいいや」、と思った昨年の英国旅行だが、帰ってきて「一番感動した場所は?」、と思い出してみると、それはやはりヨークシャー・デールだったのだ。そんなわけで、私も「デールに連れて行ってあげる」と言われれば条件反射的に「はーい!」と言ってしまう体になってしまっているのであった。

確かにちょっと天気が心配である。英国に来て以来、初めて雨が降った日である。腹も大して減ってるわけでもないし、早くデールに行かなくては、とくるまの鍵を彼に渡した。

まずリポンへ向かう。YS君の運転は典型的ブリティッシュスタイルである。ひたすらに飛ばしまくる。急発進してあっという間に時速60マイルに達し、対向車が来ると急ブレーキで減速。

「そう飛ばさんでもええがや、てゃーぎゃーてゃーぎゃーにしたってちょ」と頼むが、「ふふん、やっぱり飛ばしてますかねえ、へっへっへ、、、、。」と笑い飛ばして、いっこうにアクセルを緩める気配がない。そうか、これが英国流カントリーサイドのドライビングお作法か、と納得する。


Ripon
そうこうしているうちに、リポンの大聖堂に到着。ここも入場料は無料。ステンドグラスが美しい。その前の土産物屋さんでシンブルケースを購入。30個のシンブル(指貫)をディスプレイできるケースを2個購入した。(家に帰ってお気に入りのシンブルを入れたのですが、とても60個では足らなくて、もっと買ってくればよかったと後悔しきりでした。)


リポンの大聖堂。外も中のステンドグラスも素敵だった。


Pateley Bridge
その後、リポンからニダーデイルのペイトリー・ブリッジへ向かう。ここは日本で発行されている観光ガイドには一切載っていない村だが、すごくかわいい。イングランドで一番古い駄菓子屋さんなんかがある。現地人には人気のある村のようで、地元の観光客でにぎわっていた。


ペイトリー・ブリッジの町に入る。地元の人で結構にぎやかだったが、落ち着いたよい町だった。


Grassington - Linton
その後、さらに奥のグラシントンへ向かう。パーキングからフットパスを通ってリントン・フォールへ。落差1メートルもないかわいい滝だが、美しい眺めである。春になったら土手に水仙が咲くそうだ。うーむ、見てみたい。


グラシントンで見かけた石造りのバーン(納屋)。右はリントン・フォール。


Kettlewell
グラシントンからウォーフデールのさらに奥地のケトルウェルへ向かう。YS君はここで銀幕デビューをしたのだそうだ。ケトルウェルを舞台にした映画撮影があって、そのエキストラの出演依頼が来たので、ということらしい。(その後、この映画は、Calendar Girlsという名前で公開されました。)

この村では、「案山子ショー」をやっていた。フラダンスを踊っている案山子だとか、いろんな案山子が村のそこら中にディスプレイされており、おもしろかった。いわゆる「村おこし」なのだろうが、ウィットが効いている。


ケトルウェルの村は案山子フェスティバルでにぎわっていました。いろんな案山子が村のいたるところにディスプレしてありました。

ところで、YS君のデールの評価方法だが、「川が流れていて、ライムストーンの転がるなだらかな谷で、石垣があって、古い石造りの納屋がぽつんぽつんとあること。そんなデールが最高ですねぇ。」とのこと。そうしてみるとケトルウェルはその条件を満たしていることになる。さらに奥のバックデンも素晴らしいらしいが、これは後年のお楽しみにとっておこう。
ケトルウェルからリーズに向かう。今日はYS君宅でディナーのご馳走、とても楽しみである。

途中のイルクリーあたりですごいどしゃぶりとなる。ワイパーを最速にしても前がほとんど見えない。さすがのブリティッシュ運転のYS君も減速。でもリーズの玄関口、オトリーあたりで陽が差してくる。虹も出てきた。西のほうは完璧に青空。しかしこっちは結構強い雨が降っている。みょうちくりんな天気だ。
YS君に言わせると、「典型的なヨークシャーの天気ですねぇ。これでゲイル(UK北部に特有の突風)でも吹けば完璧なんですが。ふっふっふ!」と、なぜかうれしそうだ。


ケトルウェル付近。羊が散らばり、典型的なデールの風景。右はオトリー付近で見かけた虹。


Headingley
今日の宿泊先は、リーズ郊外のヘディングリーのヘイリーズ・ホテル・アンド・レストラン。YS君の隣人に言わせると、なかなかディナーの予約が取れない人気のホテルらしい。

ヘディングリーのメインストリートに「ヘイレイズ」の看板が出ており、そこを左折すると到着。6時ちよっと前だった。チェックインして荷物を部屋に置いてくる。ここもなかなか素敵な部屋だった。

猫の人形がベッドの上に転がっている。(最初は単なるマスコットかなと思ったのですが、首のプレートを見ると、「邪魔されたくないときは、この猫のヘイレイをドアの前に出して置いてください」と書いてありました。つまり、Don't Disturbのお仕事をする猫なのでした。)



ディナーまでちょっと時間があるので、YS君にリーズ市内の案内をしてもらう。
まずは、ヘディングリーの「アーサー・ランサム・ブルー・プラーク」を見に行く。英国を代表する児童小説「ツバメ号とアマゾン号」ほか、12冊のランサム・サーガを生み出したアーサー・ランサムは、父親がリーズ大学(正確にはその前身の学校)で教鞭をとっていた関係で、このヘディングリーで生まれたのである。

そのランサムの生まれた家が、まだヘディングリーに残っており、その家の玄関に青い円盤が埋め込まれているらしい。訪問してみると、確かに、「この家にアーサー・ランサム(ツバメ号とアマゾン号の著者)が1884年1月18日に生まれた」と書いてあった。ちなみに住所は、ヘディングリーのアッシュ・グローブ6番地である。(6, Ash Grove, Headingley)


ランサムのブルー・プラーク。

その後、YS君の通ったリーズ大学を見に行く。ヘディングリーは、この大学があるため、学生街としての性格もあるらしい。

Leeds
リーズ大学を後にして、リーズのショッピングモールを見に行く。リーズのショッピングモールはビクトリア風の建築で、その昔の栄華がしのばれ、風格がある。時間が時間なので、お店は全部閉まっていた。

その後、YS君宅へ。おみやげの赤味噌(愛知県人にとっては「猫にマタタビ」)、温泉入浴剤(UK在住の日本人にとって温泉は「猫にマタタビ」だそうな)、などなどこまごましたものを渡す。ミセスYSの手作りのディナーは大変に美味だった。しかも大量に用意してもらい、頭が下がる。ここのところ家庭料理に飢えていたのでで、欠食児童(日本では廃語)のようにがつがつと食べてしまった。


リーズ大学にて。右はリーズのビクトリア風ショッピングストリート。

ところで、今回の私は、単なる旅行者ではなく、YS君宅への人間宅急便でもあった。
UKではラップトップPCが高価なので、日本で1台調達してきてあげたのである。夕食後、その設定を行い、とりあえずインターネットにつなげるように設定してきた。話が弾んでしまい、気がついたら12時。ホテルまで送ってもらう。こんな時間に帰ってきても、いやな顔ひとつ見せない、とても感じの良いホテルだった。当然のことながら、すぐに爆睡。


前日へ 2002年旅行記目次 翌日へ