2001年8月15日 (水曜日)
サフォークからヒースロー空港へ
Hintlesham - Ipswich - Heathrow Airport


昨日に引き続き、良いお天気で朝から暑い。
旅行も最終日になってくると疲れが溜まるのか、起床時間が遅くなり、この日も8時過ぎにならないと、目が覚めない。

朝食前に、早朝の気持ちの良いホテルの庭を散歩する。
敷地が本当に広くて、公園の中にホテルがある感じである。そこらじゅうで野生のリスやウサギが跳ねている。また、この夏の真っ盛りでもバラは美しく咲いていたし、あじさいも色鮮やかに咲き誇っていた。日本とは最高気温が10度以上違うし、シャワーも多いので、花には優しい環境なのだろう。


あじさいの美しいホテルの庭で。

朝食は、昨日のメイン・ダイニングルームの隣の、第2ダイニングルームにて。
昨日のメイン・ダイニングルームはよりシックでダークな雰囲気だったが、こちらはよりカジュアルで明るいな雰囲気である。私は相変わらず元気でフル・イングリッシュ・ブレックファストをたいらげる。妻はお疲れ気味で、ヨーグルト、シチュード・フルーツ、スモークサーモンとスクランブルエッグと軽めに済ませる。
AA赤ロゼット3つの実力はここでも遺憾無く発揮された。どってことのない朝食なれど、やはりうまいものはうまいのだ。


朝食のダイニングルームと、今回最後のフル・イングリッシュ・ブレックファスト。右は各年のThe AA赤ロゼット認定証。

朝食後、スーツケースを完璧に仕上げて部屋を後にする。
ホテルが立派で食事も素晴らしかったので、請求書を受け取るときには覚悟が必要だったが、思ったほどではなかった。ポーターのおにいちゃんが部屋から荷物を運んできてくれる。彼は新米のようだが、親切で愛想がよい。ポーターは愛想が命。
ホテルの玄関からゲートまではホテルの私有地なのでゆっくりと走り、そこを左折した途端、イプスウィッチに向かって猛然と走り出す。


我々の部屋のルームキー。右はホテルのゲートから奥を見たところ。ここから数100メートル先がホテルの玄関。


Ipswich
本日はお昼過ぎにイプスウィッチでレンタカーを返し、コーチに乗ってヒースロー空港に向かう予定である。
そのため、午前中からイプスウィッチに入り、このサフォークの古い街をゆっくりと楽しむことにした。とりあえず、「P」と「i」の標識を頼りに、中心部へ向かう。バターマーケットの北側のモータープールに入る。めったに大きなパーキングに入れることがないので、「4階だったよな」としっかり覚える。
とりあえずTICへ行って、無料の観光地図をもらい、旧市街をまわってみることにする。


イプスウィッチの「i」の看板。右はイプスウィッチの市役所か?

旧市街にあるPast-Timesという店で、妻の実家へのお土産を購入。英国の伝統的なスタイルのジュエリーばかりを選ぶ。ビクトリアンスタイル、18 世紀スタイル、ケルティックスタイル。全部で80ポンドあまり。
その後、イプスウィッチ名物エインシャント・ハウスへ。壁の漆喰の塗り方などを見ていると、歴史の重みを感じる。今はキッチン関連グッズのショップになっており、ディスプレイが楽しい。


エインシャント・ハウスの前にて。右は暑さのあまりレモネードを飲みに入ったパブ。

今までまわってきた田舎に比べると、イプスウィッチは都会である。アジア系、アフリカ系の人々も多い。
古い町並みだけでなく、新しいビルも建ちつつあり、町全体に活気がある。TICでこまごまとしたお土産を調達した後、近くのパブで休憩。とにかく暑い日なので、レモネードがうまい。一休みした後に、いよいよレンタカーを返しに行く。パーキングへ戻り、窓口のおじさんにAVISへの行き方を確認する。

普通の住宅街を迷いながらぐるぐるまわっているうちに、目の片隅にAVISの赤いロゴが入ってくる。とても小さな営業所だった。
レンタカーの返却はあっけないほど簡単だった。ただ鍵を返すだけで、何の書類仕事もない。コンピュータが動いていないので、後日レシートを送ってくれるとのことだった。1週間以上も我々の足になってくれたポロともここでお別れ。エンジンがノイジーだったが、きびきび走る良い車だった。

タクシーを呼んでもらい、オールド・キャトル・マーケットのセントラル・バス・ステーションに向かう。運転手さんはLという番号のついたバス停にタクシーを着けてくれた。「ここにヒースロー行きのバスが来るからね」とのことだった。確かにそのバス停の電光掲示板を見ると、次のバスはヒースロー行きだった。


イプスウィッチのAVISのオフィス。右はバスステーションの行先表示。ヒースローとなっている。

バスに乗る前にトイレを済ませておこうと思って行ってみたら、なんと有料トイレ。10Pだった。お金を取るトイレのくせに、恐ろしく汚い。田舎も汚いトイレはあったが、総じて清潔なトイレが多かったように思う。

バス停で待っているとひたすら暑い。英国に来て一番の猛暑である。あまりに暑いので、アイスクリームを買ってくるが、途中で溶けるほどの暑さである。後で聞いたら、イースト・アングリアは、英国でも湿気のある不快な暑さになるときが時々あるらしい。

ほぼ定時直前にバスが到着した。「この暑さだったら、エアコンが効いているだろう」と思って乗り込んだら、送風だけでエアコンが効いていない。どっと疲れてしまう。

走り出してわかったのだが、このバスは、かなりちょこちょこといろんな所に止まるバスだった。コルチェスター、スタンステッド空港、その他あまり知らない街で止まり、なかなかヒースロー空港に近づかない。エアコンが効かないのでひたすら我慢するしかない。飲み物を買って乗ればよかったと思う。M11を経てM25、M4とまわり、ヒースロー近くのデパートでおばあさんをおろす。あれって定期的な停車場所なんだろうか?誰も文句を言う人はいなかったが。


Heathrow
5時ちょっと前にヒースロー空港に到着。1時20分の出発だったから、3時間以上かかったことになる。
増えた荷物をカートに載せてターミナル3へ。さっさとチェックインを済ます。荷物は名古屋まで送る。ランチを食べていなかったので、空港内のレストランでサンドイッチを食べる。これが激しく不味かった。ツナのサンドイッチだったが、水っぽくて生臭いのである。辟易して半分以上残した。今回の旅行では、うまいものばかり食べてきたので、衝撃的にまずさが際立った。

ヒースロー空港の免税店は広い。ウィンドウショッピングをして時間をつぶすにはもってこいである。
お菓子屋さんで、最後のポンドを使い切る。カドバリーのチョコレートを買おうと思って、値段を聞くと1ポンド20P。手持ちは1ポンド12P。思わず「ちっ!」と舌打ちをしたら、売店のおねえさんが怪訝な顔をする。事情を話したら、「残りの8Pは出してあげるから、持っていきなさい」とウィンク。たかが15円ぐらいのことだが、とてもうれしい。

出国便は名古屋からの直行便だったが、帰国便は成田経由のトランジット便である。食事をしてから映画などを見て、あとはひたすら眠る。


Narita - Nagoya
成田到着後、名古屋行きにトランジットするために、イミグレには向かわずにトランジットフロアへ。
まず、留守番の義姉に電話。FEDEXから電話があったとのこと。リゴン・アームズから送った別送品についてだそうである。さっそくFEDEXに電話を入れると、「別送品として申告しないと、課税されるかもしれません。」とのことだった。

ヒースローからの飛行機の中では課税申告書をもらわなかったので、それをもらいたいと、JALに尋ねるが要領を得ない。何人もたらい回しにされた結果、名古屋便は、国内便であるが扱いとしてはまだ国際便なので、課税申告書を装備しているとのこと。早い話が名古屋への機内で申告書を書け、ということだった。その後、名古屋空港の税関ではんこをもらった申告書をFEDEXに送り、無税扱いにしてもらった。

飛行機を待つ間、英国旅行の思い出に浸る。帰ってきたばかりだと言うのに、また行ってみたい、と思う。

JL53便は順調に名古屋空港に到着。高速バスで東名日進へ。義姉に迎えに来てもらい、ようやく帰宅。
長い旅で疲れたが、心地よい疲れだった。
前日へ 2001年旅行記目次